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吉田寮に泊まった時のこと

 こんにちは。東京大学3年のてんです。紅茶とは全然関係ないですが、このご時世旅行に行きづらくなってしまったので過去に旅をしたときのことを書きます。私は2018年の夏あたりに青春18きっぷというめちゃくちゃ安い切符を使って関東から京都まで在来線を使って旅をしたときに宿泊先に困って吉田寮というところに泊まったのでその時のことをだらだら書いていこうと思います。


 吉田寮をご存知だろうか。京都大学の学生寮であって、完全に自治によって運営されている寮である。中でも現棟は築年数は100年を超え、最古の現役学生寮とされている。京都大学の中でも一二を争う古さらしい。2018年では家賃は年3万円とのことである。

 私はそんなことはいざ知らず、上記の激安旅行をするに当たって、そこに安く宿泊できるらしいとの噂を聞きつけた。ならば泊まらない手はない、そう思って当日の昼に無謀にも「今日宿泊できますか?」と電話した。静岡のことである。(計画性のある旅ができないので大体私の旅はこうなのである。)


 関東から約10時間、夜9時にようやく京都に到着して、場所が分からないからと何回も迷って電話して、私はついに今日の宿泊のための場所である、吉田寮に到着した。

 案内されて恐る恐る中に入ってみると、まず圧倒されるのは建物の古さと生活感である。先ほど入った入口も木造であり、頼りない蛍光灯に照らされて木造の床が広がっている。その上で、例えば学生生活で部室やその類の共同利用スペースをご存知ならばそれを思い浮かべていただきたい。玄関やら手洗い場やら至る所に手書きの貼り紙が所狭しと貼ってあるのである。寮生向けの連絡事項やら注意書きがあり、かと思えば誰が何のために書いた文なのかも分からない貼紙が乱雑に括り付けられている。「本当に外部の者が宿泊していいのか」と若干不安を抱くが、しっかりと事前に確認してあるのでさらに説明を聞く。宿泊するに当たって名前と連絡先を帳簿に書くらしい。チェックインというわけだ。続いて肝心の宿泊料金に移る。これがなんと「カンパ制」ということである。寮生によると、カンパしたいと思った額を入れてくれればいいとのことで、近くの「カンパ箱」とマジックペンで書かれたアルミ製の箱を示された。何なら0円でも良いというのである。そして泊まったあとは自由に出ていって良いということで、チェックアウトは必要ないわけだ。この大らかさが本当にたまらない。これだけでも来た甲斐があったというものである。

 ただ、一つだけしっかりと守らなくてはならないのは、写真撮影は寮生のプライバシーに最大限配慮するということである。基本的に寮生のプライバシーが関わるものが写る寮内外の撮影は許可をとらなくてはならない。様々なネット上の情報によるとこれは最近厳しくなったようであるが、まあこれは生活空間である寮に宿泊させてもらう外部の人間として当然の心得の一つだろう。さて、寝る場所であるが、確か「共同部屋」という名前の部屋だったと思う。寮生たちが何かしらで集まるための部屋で、宴会をしたり集会をしたりもしくは何か適当に集まったり適当なものを置いておくための部屋であるらしい。


 さあ部屋に案内されて休むぞとなっていた私であるが、まさに現在寮生達の会議が行われていると言われてしまった。おそらくその時は時期も時期で、近年は吉田寮と京都大学側が揉めているのだが京都大学側が9月末を期限として全寮生の退去を求めているという状況であったからそれに関連するものであろうか。案内してくれた寮生によると、「普通に入って寝ても寮生は気にしないよ笑」とのことだったが、いや、さすがにこちらが気が引ける。ひとまず近くの銭湯で旅の疲れを癒してから戻ってくることにした。

 さて、2時間ほど時間を潰したはずであるが、いざ戻っているとまだ会議中ということではないか。これはまいった。とりあえずその場に荷物を降ろす。そして奥の漫画部屋で時間を潰すのであった。中に寮生がいて、薬学部の院生ということである。なるほどここは別に変な学生のみで構成されているのではなく、本当に京都大学の学生のための寮であるのだな、と感じつつ入口近くに戻る。おっと、前言を撤回しようかと迷う気がしてくる。将棋の対局をしている寮生の片方の風貌が着物にわらじに長髪と、現代にこんな人間が生き残っているのか(褒め言葉)と言ったものだったからである。そして一局対戦してもらったがかなり強かった。対局した棋譜を結構な手前まで、それこそ最初から再現できるほどに記憶していた。さすがである。そうこうしているうちに「共同部屋」が空き、ようやく睡眠に取り掛かることができるようになった。共同部屋。なかなかにすごいところであった。床は布団やらちゃぶ台やら飲み物の空容器やらで溢れかえっていて、寮生曰く「寝床と布団を適当に確保して適当に寝ていいよ」とのことだ。わけのわからないものが大半を占め、混沌とした本棚、なんか干してある服、誰のものか分からないし捨てたのかそのままなのかあとで取りに来るのか分からないもの、そして極め付けはやはり塗装が剥がれに剥がれている上に、壁一面が貼紙といつ書かれたのか分からない落書きで埋まっていたことだ。「禁煙」やら「ここは左京区」は理解できるが、「一票より火炎瓶を投じよ」「ジオみが深い」などまあ様々なもので埋まっていた。そして敷かれたままの布団からまだましなものを選んで寝床を作る。ここで宿泊者は私だけではないことに気づいた。どうやら曰く貴重な吉田寮を今のうちに撮影したり取材したりするためらしい。そのような人もいるのだなと思いつつ、かゆくなりそうな布団で眠りについた。


 2日目の朝、一泊しかしない予定なのでせっかくだからトイレとかも見ていこうと思い、恐る恐る覗いてみると随分と年季が入っていた。(壊れている者があったからそう感じただけで実際は結構綺麗にしているのかもしれない。実際それほど嫌悪感はなかった。)旅程的に時間が推しているので準備をして入口あたりで見ていると、明らかに大学生ではない、高校生みたいな人が出入りしているのを見かけた。聞いてみると、近所の高校生だそうだ。いいのか。いいらしい。自由を感じる空間である。どうやら自由なのは人間だけではないらしく、ニワトリが寮内をうろついている。のは良いのだがフンも勝手きままにニワトリ様はなさっている。えっ、木製の床なのに良いのか。あたりの寮生を見ても動じる様子はない。彼らが飼っているのだろうが、ニワトリ様も自由を謳歌なさっている。記念にニワトリ様の御写真を頂戴して、時間もまあまあ、カンパ箱にちょっと多めにお金を入れて吉田寮を後にした。


 木造築100年、京都大学学生寮吉田寮はそのようなところであった。思った以上に強烈な空間だったし、そのような空間があること自体に私は衝撃を受けた。一晩泊めてもらった感謝を胸に、あのような場所があり続けてほしいと思っている。


 駄文を読んでいただいてありがとうございました。

一応述べておくと、記憶を辿って書いているため不正確なところや脚色は割とあります。ご了承ください。なお、プライバシーのため吉田寮の写真は一切載せていません。ググるなどして見てみてください。結構にすごいところなのです。

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