ご挨拶
こんにちは。修士二年の河野です。
カフェ巡りやアフタヌーンティーをしばらく封印し修士論文の合間にこの原稿を執筆していますが、修論を提出してしまえば小学校から18年間続いた学生生活が終わってしまうと考える度に肝が冷えています。誰か年が明けるのを食い止めてくれませんか。
学生生活が終了するということは研究室生活も終わることを意味し、うら寂しさを抱いています。大学院に進学してからは毎日のようにラボに通っていたために、ずっと前からここにいたものだと錯覚してしまったからでしょうか。大学生活の思い出という程でもないのですが、私の研究室は酵母を専門的に扱っているので培養室に入ると強烈な発酵の匂いが鼻に抜けます。ラボに配属された当初の私はこの匂いが凄く不快で、あれだけ好きだったパンやスコーンが食べられなくなる程でしたが今ではすっかり慣れてしまいました。そういえば私がこのラボに入ろうと思った理由も発酵食品が好きだったからのような記憶があります。
このようなことをしばらく考えていたため、本日は発酵についてなんとなく駄弁っていこうと思います(自然な導入)。
ちなみにこれは去年のクリスマスを一緒に過ごした酵母です。かわいいですね。
発酵と微生物
それでは、発酵の基礎知識から説明します。
発酵という言葉の定義については度々曖昧であることがありますが、発酵学では、人の価値観に基づき人に役立つ生物の代謝反応を「発酵」と呼び、そうでない場合は「腐敗」としています。また、微生物学では、エネルギーの通貨であるATPを産生する際に酸素を必要とするかしないかの違いから「発酵」と「呼吸」で使い分けられていることが多いと感じています。つまり我々は酸素を使わなくとも生育できる微生物(嫌気性生物)の恩恵に預かっているわけですね。
発酵は主に酵母やカビといった真菌類と細菌類によって起こります。そして、それぞれの微生物が得意とする発酵も異なります。例えば、酵母はアルコール発酵を得意としています。細菌の一種である乳酸菌は乳酸発酵を、別の細菌の種類である酢酸菌は酢酸発酵を得意としています。これらは三大発酵と呼ばれており、名前の通り最終産物はそれぞれアルコール、乳酸、酢酸です。私は研究室で酵母を扱っているため、この中からアルコール発酵について簡単に紹介します。
アルコール発酵に限らず多くの代謝反応の最初はグルコースが起点です。グルコース (C6H12O6) からピルビン酸と呼ばれる有機化合物とATPを作る反応を解糖系と呼びます。
その後に起こるアルコール発酵は、このピルビン酸を二酸化炭素 (CO2) とエタノール (C2H5OH) に分解する経路のことを指します。
分かりやすいように一部省略しますが、このグルコースの分解反応を化学式で表すと
C6H12O6 → 2C2H5OH + 2CO2
となります。ここで発生した炭酸ガスとアルコールがパンやお酒の醸造に用いられます。
その他に細菌が起こす発酵の中で代表的なのは恐らく納豆菌による発酵でしょう。納豆菌はかなり増殖しやすい菌として知られています。納豆を作っている蔵と醬油や日本酒の蔵を近くに作っては駄目と聞いたことがある人がいるかもしれませんが、その理由はもれなく納豆風味の醤油や日本酒ができてしまうからです。
研究室も同じで、我々のような微生物をメインに扱う研究室では納豆を食べてすぐに実験を行うともれなく全員の実験が失敗します。
もう一つ日本の食文化を支える代表的な発酵で忘れてはいけないのがカビの一種である麹菌です。麹菌は主に醤油や味噌、日本酒の醸造に貢献しており、主な仕事は分解酵素を産生することです。脂質やタンパク質を麴菌が分解してくれることで風味やうま味が増し、栄養が吸収されやすくなります。中でも、でんぷんを分解してグルコースにすることを糖化と呼びます。糖化により甘みが増すのはもちろんのこと、このグルコースを元にして酵母がアルコールを産生することもあります。このように複数の経路による発酵を複合発酵と呼びます。ちなみに、我々の中の過激派が茶葉をそのまま食べているように、発酵の過激派は乾燥麴をそのまま口に運ぶそうです。怖いですね。
麹菌で最も使われているニホンコウジカビはアスペルギルス・オリゼー (Aspergillus oryzae) という学名を持っています。アスペルギルスは本来毒性を持つ菌であり、アスペルギルス肺炎を思い浮かべる方もいると思います。が、「なぜか」 一般的な発酵で使われている麴菌は無毒化されています。そのような背景があってか麹菌は日本の国菌とも呼ばれています。
映画「君の名は。」の影響で口噛み酒の知名度が上がり、麴菌も注目されるようになりましたが、このような背景が存在することを豆知識としていかがでしょう。余談ですが、似た話としてフグ毒をぬか漬けにすることで「なぜか」無毒化に成功した実績が日本にはあります。日本人の食への執念と発酵の素晴らしさに感謝しましょう。
また、発酵でカビといえばチーズを思い浮かべる方も多いでしょう。カビは白、黒、赤、黄、緑、青といったように色で分類がされており、チーズの発酵は一般的に白カビと青カビが用いられています。ちなみに、ニホンコウジカビは黄カビに分類され、そのほかに麴菌は黒や白など複数種類が存在しています。
▲発酵に使われる主な微生物の分類
さて、ここまで複数の発酵の基礎知識について解説をしてきました。しかし、最も我々に身近であるにも関わらず発酵の定義から外れた発酵をまだ紹介していません。それこそ私が発酵を面白いと思った理由に起因します。
それが、お茶の発酵です。
酸化発酵
発酵度の違いによってお茶の呼ばれ方が変わることは皆さんご存じかと思います。中でも完全発酵を経たものは紅茶と呼ばれます。そして、葉の繊維を砕いて発酵を促す過程を「揉捻」と呼ぶこともお茶について勉強をしたことがある方にとっては周知の事実のように思います。
なお、お茶の発酵は微生物が(一部を除いて)関わっていないので発酵ではないと論述する方もいますし、近年では発酵度ではなく製法でお茶を分類するてだてが浸透してきているように思いますが、初めに述べた通り発酵という言葉自体往々にして整った定義がなされないまま使われることがあります。
しかし、このような議論が活発に行われているにも関わらず、未だに不明な点が多いうえにその原理を日本語で説明しているものは少ないように感じました。このような背景から少しだけ専門的な話をします。難しければ読み飛ばして頂いて大丈夫です。
そもそもお茶の発酵とは、カテキン類をフラボノイド類(テアフラビン、テアルビジン)に酸化する過程のことを指します。カテキン類やフラボノイド類はポリフェノールの一種であり、風味や色を左右する大切な植物成分です。そこに原則微生物は介入せずにタンパク質や有機化合物の相互作用によって発酵は進行します。
具体的には、ポリフェノールオキシダーゼと呼ばれる酸化酵素がエピカテキンをキノン体へと酸化して、オルトキノンと呼ばれる構造になり、このオルトキノンがエピガロカテキンと縮合してテアフラビンを合成します[1]。 つまり、テアフラビンはカテキンの二量体という見方もできるわけです(ややこしいのでなんとなくで流し読んでください)。
ちなみに、さらにテアフラビンの反応を進めるとテアナフトキノンというカテキン四量体が生成します。このテアナフトキノンも色素として働くことが知られており、暗黄色を示すそうです[2] 。
発酵時間が長いほど紅茶中のテアルビジンは増加しテアフラビンは減少することからテアルビジンはテアフラビンと関係があると考えられていますが、過去五十年以上にわたり研究が行われているのにも関わらず、テアルビジンは現在に至るまで詳しい合成経路は分かっていません [3]。 しかし、テアルビジンの合成にはテアフラビンの分解とテアナフトキノンが関わっているという見方もあるらしいです[1]。
テアフラビン量は茶の品質と正の相関があるらしく、テアフラビン量を増加させようとする研究が多く行われてきました。その成果の一つとして、葉の浸出液のpHを下げてやるとテアフラビン量が増加する結果が出ました[4]。
また、私は先ほどお茶の酸化発酵には微生物が介入しないと言いましたし、一般的にもそうであると信じられてきました。しかしごく最近の研究で、酸化発酵に細菌が関与している可能性があるといった報告が出ました。葉の表面を殺菌してから発酵することでカテキン量が減少した結果から、葉に存在する常在菌はポリフェノールの動態を変化させると結論付けています。個人的に今年読んだ論文の中でもインパクトの強かった論文であり、これまでの常識を覆してくれたため、この記事で最も私が伝えたいくらいのお気に入りの論文です[5]。
▲カテキン類からフラボノイド類への酸化発酵過程
このテアルビジンやテアフラビンは褐色の色素であり、紅茶の鮮やかな色に関与しています。色々な物質が出てきて混乱するかもしれませんが、原理としてはリンゴを長時間放置した時に起こる変色と同じです。
では、完全発酵を経た葉はなぜ緑色が残っていないのでしょうか。
植物の緑色色素であるクロロフィルは葉緑体内に存在するため光合成に関与しており、緑色光以外の太陽光を吸収して光エネルギーとして利用する役割を担っています。クロロフィルは非常に興味深い構造をしており、ポルフィリン環と呼ばれる構造の中心にマグネシウムイオンを含んでいます。このクロロフィルがフェオホルビドとフェオフィチンと呼ばれる物質に分解されるために緑色は無くなります。
クロロフィルが分解酵素であるクロロフィラーゼの働きでクロロフィライドと呼ばれる中間体になり、酸の影響によりマグネシウムイオンが遊離することでフェオホルビドが生成します。フェオフィチンは中間体やクロロフィラーゼを介さずに直接クロロフィルからマグネシウムイオンが脱離することで生成されます。
また、フェオフィチンとフェオホルビドは褐色に近い色を示す色素だと考えられています。クロロフィルの反応は発酵とは呼びませんが、カテキンの酸化反応と同じくらい紅茶の水色に関わっているのですね。
▲クロロフィルからフェオホルビドとフェオフィチンの合成過程
頭が痛くなってきたと思うのでこの辺にしておきましょう。発酵について紹介している記事が沢山ある中で後追いにならないよう私らしい文章を目指した結果、無秩序でマニアックな記事になってしまいました。反省はしていません。
後編は明日、12月20日投稿予定です。明日は専門的な話はほどほどにして、紅茶に関連した発酵飲料を作ってみようと思います。お楽しみに!
(追記)
後半はこちら
References
[1] Tanaka, Takashi, Miho Yasumatsu, Mayu Hirotani, Yosuke Matsuo, Na Li, Hong-Tao Zhu, Yoshinori Saito, Kanji Ishimaru, and Ying-Jun Zhang. 2022. ‘New Degradation Mechanism of Black Tea Pigment Theaflavin Involving Condensation with Epigallocatechin-3-O-Gallate’. Food Chemistry 370:131326. doi: 10.1016/j.foodchem.2021.131326.
[2] Tanaka, Takashi, Kyoko Inoue, Yayoi Betsumiya, Chie Mine, and Isao Kouno. 2001. ‘Two Types of Oxidative Dimerization of the Black Tea Polyphenol Theaflavin’. Journal of Agricultural and Food Chemistry 49(12):5785–89. doi: 10.1021/jf010842x.
[3] Ito, Ayumi, and Emiko Yanase. 2022. ‘Study into the Chemical Changes of Tea Leaf Polyphenols during Japanese Black Tea Processing’. Food Research International (Ottawa, Ont.) 160:111731. doi: 10.1016/j.foodres.2022.111731.
[4] Subramanian, N., Purna Venkatesh, Shovan Ganguli, and Vilas P. Sinkar. 1999. ‘Role of Polyphenol Oxidase and Peroxidase in the Generation of Black Tea Theaflavins’. Journal of Agricultural and Food Chemistry 47(7):2571–78. doi: 10.1021/jf981042y.
[5] Nurmilah, Siti, Yana Cahyana, and Gemilang Lara Utama. 2022. ‘Metagenomics Analysis of the Polymeric and Monomeric Phenolic Dynamic Changes Related to the Indigenous Bacteria of Black Tea Spontaneous Fermentation’. Biotechnology Reports 36:e00774. doi: 10.1016/j.btre.2022.e00774.
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